【Locoty×ちばらき人インタビューvol.5】
青木智也(あおき・ともや)
1973年常総市生まれ。都内の大学を卒業し就職後、茨城へUターン。茨城の魅力を紹介するWebサイト「茨城王」を立ち上げる。2004年著書「いばらぎじゃなくていばらき」を出版し県内でベストセラーに。執筆や講演、ラジオパーソナリティーなど幅広く活動。2014年に茨城訛りのご当地ラッパー「イバラッパー」として活動をスタート、テレビはじめ多方面で紹介され話題に。
いばらき統計サポーター、茨城県まちづくりアドバイザーなど多数の委員も務める。
― 青木さんにとって「鹿行」のイメージは?
最初に浮かぶのが「鹿島臨海工業地帯」ですね。でも「鹿行」と言っても、工業地帯あり、水郷地帯あり、大規模農業あり、それぞれに特色があって、まるで茨城の縮図のように感じるのです。
川や湖が多い地形も茨城では他にないですね。私の住んでいる常総市付近の県南・県西地域はそれほど地域や地形の差が無いように感じます。だだっ広い関東平野に畑や田んぼが広がっているイメージですから。
― そんな鹿行地域を歌った『どこそこ鹿行~鹿行のテーマ』があります。
“鹿行が読めない、どこにあるか知らない”という声が多いので作った曲です。名所や名産品に乗せて「鹿行(ろっこう)」を何度もリピートしています。この歌詞は、サビで韻(いん)を踏んでいるのが特徴。何処(どこ)、そこ、ロッコウ、と。言葉のリズム感を楽しんでもらいたいのが本懐ですね。
鹿行にちなんだ歌は他にも潮来をテーマにした『水郷潮来』やかしま未来りーなに作詞提供している『はじまりの地』があります。
『どこそこ鹿行』
― 『水郷潮来』についてお聞かせいただけますか?
自分にとっての潮来のイメージは「水郷潮来あやめまつり」。あやめ咲く初夏の水郷、という印象が大きかったのですが、ロケハンや撮影で夏以外に訪れてみて、酒蔵や権現山、道の駅など、新たな潮来の魅力に出会うことが出来ました。
作詞にあたり、潮来市商工会青年部のメンバーとも意見交換をしていまして、地域を思う熱い気持ちと「未来に向かって変わらなければいけない」という危機感を感じ、伝統や歴史と未来への変化、そんな地元の人たちの思いを込めて作りました。これまでなかなかスケジュールが合いませんでしたが、10月26日の「水郷潮来ハロウィンパーティ」で市民のみなさんの前で歌うことになっていて、とても楽しみです。
※「第4回 水郷潮来ハロウィンパーティー」⇒イベント詳細
『水郷潮来』
― 『はじまりの地』は鹿嶋の歌ですね。また、かしま未来りーなとの出会いは?
かしま未来りーなをプロデュースしている岡見正仁さん(鹿嶋市宮中・岡見書店店主)にイバラキングのステッカーを制作依頼していました。そんなご縁もありまして、彼女たちの結成6周年を記念して作詞のオファーをいただきました。
グループの新たなスタート、そして鹿島神宮は「鹿島立ち」の縁起のいい神様であること。また茨城は太平洋に面し、朝陽が昇るところ。この歌は鹿嶋だけではなくて茨城のイメージも併せて表現しています。
イバラッパーとして歌いたかったのと、鹿嶋でのライブで彼女たちとコラボすると相乗効果で面白いかなと思いまして、自分で作曲・アレンジしたラップ版『はじまりの地』もあります。これも思い入れのある一曲です。
― 神栖市とはいかがでしょうか?
残念ながらまだ神栖の歌は無いんですよ。ご縁と言えば、私のラジオ番組(ラジオつくば「イバラキングのごじゃっぺラジオZ」)のアシスタントを8年間務めてくれている、ナレーターの佐藤美生さんが神栖出身。神栖女子は地元だけにとどまっていないというか、東京に出て行ったり、つくばに住んでいたり、アクティブな印象がありますね。やはり東京とアクセス的に近いのもあるのでしょうか。
― 鉾田市には「イバラキング」というメロンがありますが…
茨城県が開発した新しいメロンの名前を一般公募をしたところ、「イバラキング」名で応募あったそうで、その時、すでに私が「茨城王(イバラキング)」名で本(「いばらぎじゃなくていばらき」茨城新聞社刊)も出していましたので、県の担当の方が名前の使用について確認に来られました。
それまではプリンスメロン等の可愛らしい名前が多かったので、メロンに「キング」は実際のところどうかな?とは思いましたが、決まったということであれば同じ名前として応援しようとPRに協力していました。今はかなり有名になりましたので、少しでもお役に立てたかな、と思っております。
― 行方市とはいかがでしょうか。
実はまだ行方市とはご縁がないのです。つくば霞ヶ浦りんりんロードのPRソング『りんりんロード』や『We love 霞ヶ浦』は行方市も含まれる霞ヶ浦のことを歌っていますので、今後ご縁があるとうれしいですね。市独自のエリアテレビもあるようなので注目しています。
― 青木さんといえば茨城弁をテーマにしたTシャツなどご当地商品企画をされています。今年は「茨城弁ごじゃっぺかるた」も発売されました。茨城のグッズへの思いは?
「茨城弁Tシャツ(イバT)」など、ご当地商品を企画をする際はバランスが大切だと思っています。ただの茨城弁が書いてあるだけのTシャツでは、なかなか着る気にはなれませんよね。文言や素材にもこだわって、面白くて、かつシンプルで、普段着てもおしゃれであることをデザインする際は心掛けています。
「茨城弁ごじゃっぺかるた」については、以前からラジオ番組の中でリスナーから文言を募集する企画をやっていました。50音分揃ったので販売に向けて動いていたのですが、まとまった数でないと商品化は難しい現実もあり、お蔵入りになっていました。
ところが1年前にある自治体から、お正月のかるた大会に「茨城弁かるた」を使いたい、という要望がありまして、そこから少しずつ問い合わせが増え、商品化に向けて動き始めました。たたき台としてあった文字札を手直しして、イラストも自分で手がけました。
「この茨城弁は自分の地域では使わないから違う」と言われることもあるのですが、茨城弁の多様さとみなさんの地元愛の強さならではのご意見と受け止めています。このかるたで県内で使われている様々な茨城弁があることを知っていただけると嬉しいです。
(茨城弁ごじゃっぺかるたやグッズはネットショップ(http://www.ibaraking.com/shop/)または茨城県内のJOYFUL-2にて販売中)
― インターネット主流の時代を迎えて、茨城のこれから、そして青木さんの今後の活動について教えてください。
テレビに関して言えば、県域の民放テレビ局が無い茨城は、東京からの情報が中心という特殊な状況に置かれています。新聞も大手紙が強いので、地元の情報が共有しにくかったのですが、インターネットが発達してから、茨城の情報はネットを経由して見聞きすることが多くなっています。
私も早くからインターネットを使って情報発信していたこともあって、自分の活動がネット経由で認知され、茨城のことや茨城弁に関する取材が来たりするようになりました。今後もネットを上手に使うことで、情報が自然に集まって、こちらが発信源やハブになり広がる仕組みを作れるとといいなと思っています。
昔は茨城弁は恥ずかしいとか、ネガティブだった時代もありますが、今の若者や子供たちは「茨城弁って面白い」と感じているようです。そのような良い部分をクリエイティブに活かすと、方言も楽しめる気がします。
最近、テレビ番組でも取り上げられ話題になった「いやどうも」という茨城弁があるのですが、私はずっと前から面白いと思って、ラジオやイベントで多用してきました。
昔からあるけれど当たり前すぎて気づかなかったものは、言葉だけでなく、身近に沢山あるので、それらを掘り起こして、切り口を変えて面白く作りなおしていくと、とても魅力的なものになると思っています。
私はじっくり考えて動く、というよりは突然閃いて新しいことに取り組むことが多いので、自分が得意なことと、これから流行りそうなものの接点を見極めて、常にネタを探して活動している感じです。鹿行でも「これだ!」と思えるものを見つけられたら最高ですね。
-撮影協力-
(取材/丹野かすみ 撮影/花ヶ崎拓也)